七日目の光

現代人の「性」に対する捉え方は、どこか歪んでしまっているように思います。

例えば、セックスに嫌悪感を抱く人。
無関心を装う人。
あるいは、必要以上に消費しようとする人。

特に日本人は、世界的に見ても その傾向が強いように感じています。
Ninaを始めた頃の私は、そのことを強く問題視していました。

けれど少し前から、それすらも時代の流れの一部なのだろうと、受け入れ始めていました。

特に女性は、長い歴史の中で、性にまつわるあまりにも厳しい苦難や抑圧を経験してきました。

その結果として、男女ともにリビドーが不健全な形へと歪んでいったとしても、
それもまた、時代が生み出した必然なのかもしれない…

私はそんなふうに、半ば「諦め」のような境地で、この ”世界” を眺め始めていたのです。

しかし、私はその認識を根底から揺さぶられる出来事に遭遇しました。

神聖であるはずの教会のミサの最中に、突如、一人の女性が祭壇へ上がり込み、神父様を押したのです。

しかも、あろうことか、その時は数ヶ月に一度しかない「子どもとともにささげるミサ」。
多くの幼い子供たちが、その光景を目の当たりにしていました。

「私は娼婦だ!」
「お前は嘘をついている!」

そう叫ぶ女性の体は、一糸も纏っていません。

私は、目を疑いました。

これが、私の生きる世界なのか、と。

神聖と狂気
性と祈り
抑圧と解放…

そのすべてが、あまりにも剥き出しで、目の前に現れてしまったように感じたのです。

実はあの日は、私にとって年に一度の大切な日でもありました。
だからこそ未だに、うまく整理しきれない部分があります。

新月の今夜は、あの衝撃的な日から、ちょうど七日目。

まだ言葉になりきらないものも抱えたままですが、今の想いを綴ってみようと思います。

その日について
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