3年目の新月 —— Nina がみる「性」

昨年10月7日、満月の夜からスタートし、およそ3ヶ月を経た新月の今夜、
2026年1月19日をもって、
Nina Novembre の2周年シーズンが、無事に幕を閉じました。

期中では、Eli(エリ)や真名(Manah)という未知の体系、
対談型インタビューやコラボレーション・ワークショップといった他者を交えた企画、
さらに、東京ビッグサイトで開催された大型見本市への出展など、
Ninaにとって、初めての取り組みを数多く行うことができました。

ひとえに、この時間を共に過ごしてくださった皆さまのお陰です。
本当に、ありがとうございました。

今回はそんな区切りとなる機会に、
Ninaが「性」に対して、今現在、どんな視点を持っているのか、
そんな言葉を静かに置きたいと思っています。

Ninaがスタートした理由

それは ——

AIが本格台頭する時代に、
”人間を人間たらしめるものは何か” という問いに
「性」が深いところで関与しているに違いない

そう直感したからに他なりません。

以降、およそ2年間に渡って、
私なりに、柔軟かつ多角的な視点で、
この問いに真剣に、深く、向き合ってきました。

結果として、改めて、私が感じていることは

人間を人間たらしめるのは、
やはり、なんらかの能力でも知性でも創造性でもない、ということ。

なぜなら それらは、いずれAIが肩を並べるか、超えていくもの…

だからこそ、
そんな時代でもなお、人間固有の営みとして残るものは、

自分の内側の秩序に基づいて、
外側の現実と折り合いをつけ続けること

なのではないかと感じています。

内側の秩序が起点になる時代

私がこれまで生きてきた40数年来の世界は、こうでした。

自分の内側の違和感を極力抑え、
外側に合わせて自分を最適化し、
社会に適応する。
そして、他者に自分の評価軸を合わせる


これは、私自身、「集団の一員」として生き延びるためには、
確かに、極めて合理的でした。

そのため、それは人間的美徳として称揚されましたし、
わずかながらの誇りも、確かにありました。

他方、
内側の秩序にひたすら正直に、外側とズレなく生き抜いた少数の人は得てして、
「偉人」でなければ「奇人・変人」
あるいは、「覚悟した人」と捉えられました。

ところが、今や、
外側(社会・情報・評価・役割)が、
一貫した秩序を持たなくなりつつあります。

つまるところ、
外側(既定路線・多数派)に合わせれば何とかなる
という前提が崩れつつある状況です。

AIが台頭し、「効率化」「再現性」「最適解」が加速していくほど、
外側の秩序に合わせるだけでは、人間は空虚になっていきます。

すると、このとき初めて、
自分の内側が秩序の起点になるしかなくなる

そのように感じるのです。

ここで、Ninaの文脈における「性」が、何を意味しているのかを整理すると、

Ninaで扱う「性」は、
・快楽
・生殖
・アイデンティティ
の話ではないということ。

そのことを次のページ以降で、紐解きたいと思っています。

今のNinaが捉える「性」とは
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