エロビデオを観るのをやめたら、神秘のエクスタシーが待っていた


私は、宇宙であり、女神であり、母である

光輝く星々は、全て私の子である

その子らは口々に愛して愛してと叫びながら
輝きを増し続ける

あぁ、なんて美しい光なのだろう
どの子も全てが愛おしい

私は恍惚のうちに、その光を呑み込んでゆく

次第に私の内側が光で充満すると
魂は深い悦に繋がり始める


その時、私は初めて許すことができたのだ

私が女であることを
 

 

上記の詩も、本題も、おそらく読者の皆様にとっては、なんのこっちゃ?ですよね…(苦笑)

私自身も、未だに信じられない気持ちですし、お伝えしたところで、あまりに怪しすぎてドン引きされるんじゃないかと、内心では怖いのですが…(笑)

でも、やっぱり、どうしても、最近体験した神秘のエクスタシー体験をシェアさせていただきたくて、しし座満月がとても美しい今夜、ドン引きされるのを覚悟で、この記事を公開いたしました。

何しろ、ついに 真理の破片を見つけたような気がしたのです。

”性(或いは、性エネルギー)が命の本質である ” という仮説がベースの Ninaが、その仮説を実証できたような気がしたのです。

神秘のエクスタシー体験とは

時は2025年が明け、1月も終わりに差し掛かる頃でした。

昼下がりのアトリエで、ふと、セルフプレジャーをしようと思い立った私。
(この時点で、引かれるかもしれませんね 汗)

そうだ、今日はエロビデオを見るのはやめようかな…

その日はそんなことが頭によぎりました。
(そうだ 京都、行こう ではありません)

プレジャーの際、AVにはよくお世話になっているのですが、何となく、そろそろ潮時の気がしていたのです。

私は普段、1時間程度の瞑想を日課にしているのですが、昨年末くらいから時折、瞑想中に会陰や子宮のあたりが疼くことが増えていました。会陰や子宮といえば、第1チャクラ。生命エネルギーの基盤となる場所です。

最近の瞑想の際に感じるあの不思議な感覚..
セクシャルプレジャーと相通じるものがあるのではと感じていました。

早速、普段通りの瞑想状態に入ると、いつものように会陰・子宮のあたりに疼きを覚えました。

ルーチンだとスマホ片手にプレジャーアイテムを使って快感を追求するのですが、その日はスマホはお役御免。

ビデオに意識を向ける代わりに、その時に感じていた負の感覚・負の感情をありのまま見つめるよう集中してみました。
(実は、1週間前から色々と鬱屈としていた想いが溜まっていて苦しかったのです)

すると、どうでしょう。
その重く苦しい感情が、意識の中で男性のような姿へと変化しました。いわば、私の内に存在する男性性です。

その直後のことでした。この世で懸命に生きていきながら上手くいかない物事、または、この世界の不条理への鬱憤が、さながら男根の如く、私の中に凄まじい勢いで入ってきたのです。

信じがたいことに、その時、私は激しい快感を覚えました。

これまでのセルフプレジャーとは、似て非なる、なんとも表現のしがたい次元の異なる快感でした。魂がエクスタシーで悦び震えるような感覚というのでしょうか。冒険に出た魂が、波瀾万丈な旅路を楽しんでいるかのようでもあります。

他の言葉で例えるなら、私の中の戦う漢(オトコ)が、私の中の麗しい女神に襲いかかるような感覚でもありました。

かねてより願っていた「マグロ女でも激しく男に愛されたい」という、とても恥ずかしくて誰にも言えない(でも公表しちゃってるけど)むっつり助平の夢がついに叶った!!と言うくらいのインパクトです。

あぁ、なまじプレジャーアイテムを使おうものなら、ある種の神聖な感覚が途絶えてしまいそう。思わず握りしめていたそれを放り投げて、しばらくの間、その悦に浸りました。

私の女神は、負のエネルギーと思っていたものすらも、いつの間にか美しい光に変えて、己の子宮に次々と取り込んでいきます。

はっと気がつくと、私は宇宙空間の中にいました。

様々な種の鬱々としたエネルギーは、暗闇の中で美しい天体となっています。

恒星が力強く光輝くと、そのほかの星々もキラキラと光を反射して輝きます。それぞれが己が唯一無二の尊さを愛して愛してと叫ばんばかりです。

(あぁ、なんて美しいのでしょう。全てが私の美しい子供たち。)

恍惚の中の私は宇宙そのものであり、ダークマターであり、その星々を包み込む、或いは産み出す偉大な母、グレートマザーでした。

波のように押しては返す、止めどないエクスタシーは、まさに命の躍動そのもの。それは、肉体があるからこそであり、神から与えられた魂の悦びなのだと悟ったのです。

そして、何より私が一番感動したのは、私が女であることを生まれて初めて許すことができたこと。

これまで女でいることは、男のためのような気がして、心のどこかで、自分が女であることを許せないでいる私がいました。

しかしこの体験を機に、女である私のことが好き、可愛い、美しい、と思えたのです。本当の意味で、これから女として生きることができる、と思えたのです。

ことが終わった後、冷静になって振り返ると、嬉しさで涙が込み上げてくるほど感動しました。

これって「男性性と女性性の統合」?
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