月の裏側 – 第14夜 – 一目惚れの女とランデブー

前回のあらすじ
BACKSIDE BARに入店するやいなや、梶と成美が抱擁しキスをする場面に遭遇する由羅。二人が恋仲ならば、なぜ成美は自分と梶がセックスしたかと聞くのか。店内に流れるジャズの音も聞こえぬほどに混乱する。

しかし成美に促されカウンター席に誘導されると、何事もなかったかのような空気が流れている。成美がバーテンダーの拓海を紹介する。日本人とフランス人のミックスであることや名前の由来などを聞いていたところ、突然梶が「君はその名の通り、いつも心がゆらゆらと揺れているように見えるね。」と由羅に言った。

またも動揺する由羅だったが、更に会話の流れから梶が既婚者であることが発覚。ちょうどその瞬間にジャズのレコードが終わり、辺りがしんと静まり返ると、由羅の頭の中も静まり返るのだった。

隣に座る男は ”妻” という言葉を確かに口にした。

その男は妻の誕生日にわざわざローストビーフを手作りして共に祝う一方で、妻ではない女と接吻するようなろくでもない男だ。

しかしそれは紛れもなく隣に座る ”梶” であり、自分の上司であり、相手の女は仕事仲間である。

静まり返った頭でなんとか状況を整理した。

途端にぞくぞくと悪寒がした。悪寒がしたかと思うと、その直後には梶と成美に対する軽蔑と嫌忌の念が沸々と沸き起こった。

ー どういうことなの?意味がわからない…

スピーカーからチリチリと微かな音が聞こえる。演奏の終わったレコードがターンテーブルの上で回っているのだろう。その音は空調のホワイトノイズと絡み合いながら空中を漂っている。

それにしても梶のことを独身であると都合良く決め込んでいた。

梶と肩を並べて歩き密かにはしゃいでいた自分が一転して暗澹とした気持ちに陥っている姿。
騒がしいジャズが終わったレコードが一転して無音で虚しく回っている姿。
ふたつの姿が自然と重なる。

異動発令からわずか1週間程度の間で、いかに感情が揺さぶられているかを自覚して微かな恐怖を覚えた。

いかなる物事も論理的に捉え、理性を働かせ、生産性が低下するような感情には蓋をして長らく生きてきたのだ。これまで大事にしてきた美徳が危ぶまれている状況は、由羅にとって恐怖であり屈辱だった。

成美がゆったりとした動きでバーカウンターを出て、レコードプレイヤーが置いてある棚に向かう。LP盤を変えるためだ。

由羅の背後を通り過ぎる時、さりげなく由羅の肩に手を触れて「次のリクエストある?」と質問した。

「君はその名の通り、いつも心がゆらゆらと揺れているように見えるね。」

梶から言われた言葉がすぐさま由羅の頭の中で反響する。

努めて平常心を装わなければ。ここで感情を出したら負けてしまう。そう思いながら慎重に返答するものの、

「いえ、特に。」

やり場のない憤りは声音を明らかに刺々しくさせていた。

ー あぁ、きっと心の中で笑われているわ…

冷静を演じ切ることができない自分に対し、落ち込んでしまいそうになる。

次のレコードにまつわる会話と由羅の温度差
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