2024年 スーバームーンに想いを馳せながら

2024年10月17日。
今年のうち最も月が地球に近付く今夜は、最も大きく明るく見える満月「スーパームーン」が夜空に浮かびます。

月の満ち欠けと共に歩みを進み始めた 当マガジン「Nina Novembre」は、来月の11月27日に1周年を迎えようとしています。

編集・執筆経験も無く、しかもコミュニティ運営経験もないまま無謀にもスタートしたこの活動。

メインビジュアルの美しいアートとスタイリッシュなWeb空間という人様のお力を借りることで何とかスタートしたあの日。

記事としてギリギリ投稿が間に合ったのは、主宰者である私自身のNina立ち上げに対する想いのメッセージのみでした。

葛藤との戦いの狭間で、言葉を紡ぐことは大変なエネルギーだったのです。

スタートして以降も、時折襲ってくる恐怖・不安・孤独などに対峙する度、自己の弱さや未熟さに直面しては、穴があったら入りたいような恥ずかしい想いにも苦しみました。

「なぜ苦しむ必要があるのか?色々と考えすぎなのではないか?」

私はもとより、周囲から疑問に思われたこともありました。

当然です。誰からも頼まれず、好きで、勝手に、やっていることなのだから、苦しむ必要はないのです。ただ、楽しめばいいのだと。

しかし ー…

一体この活動が何になるのだろう。
私は私の命を、真に全う出来るのだろうか。

この問いを抱えながら一瞬一瞬を大事に過ごしてきた約一年間は、これまでの人生の中で、最も生きている実感のする時間だったかもしれないと思えてきます。

なぜなら、その分、多くの気づきや喜びや感謝の気持ちを味わうことが出来たからです。

その中でも、最近は重要な気づきを得ることができました。

それは、 「私にとって ”言葉” は ”呪い” であった」 という気づきです。


私にとって ”言葉は呪い” だった

命を削って言葉を綴っている感覚があったからこそ、この活動において常に苦しみが伴っていたわけですが、
その理由がそこにあったことに気がついたのです。

それは、私が高校生1年生のある日。

男子テニス部に所属する学生の父親が亡くなったので、女子テニス部一同としてお香典を用意すると先輩に言われた時のことでした。

世間知らずで幼稚で未熟な私は、

「私の父も亡くなれば、同様にお金をもらえるのか。」

ふざけ半分で聞いたのでした。

先輩達は困惑した顔で、そのような縁起でも無いことを言うものではない、と諭しました。

私自身も何やら妙な感覚を覚えましたが、何しろ父は当時49歳。持病もなく元気そのものでしたから、まさかと、大して気にすることなく、やり過ごしました。

ところが、その日から1年も経たないうちに、
父は満50歳になって間も無く病気で急逝したのです。

「言霊と災い」という潜在的トラウマがすっかり確立された私は、その後追い討ちをかけられます。

生まれて初めて人を愛するという経験をさせてもらった大学の同級生が、23歳の時に急逝するという信じがたい事実に直面しました。

身近な人の死、という災い。
加えて、海外からの転居や家庭環境等のいくつかの複雑なパラメーターによって、言葉 はますます私にとって呪いというものに変わっていきました。

ー 自然体で言葉を発すると、災いが起きる。
ー ハイコンテクストな日本においては、本音を言ってはいけない。

そのような世界観で生きていたということに、ようやく体感を伴う気づきを得たのです。



これからの私とNina Novembre

この気づきは、目が顔にくっついていること位、あまりに当たり前過ぎて、きちんと認識できた時は、愕然として全身が脱力しました。

同時に、恥ずべき己のことをしっかり見ようとしていなかったのだと痛感します。

一方この気づきを経たことで、勇気を得られた気がしています。
自己表現をするに当たっての様々な恐れを必要以上に恐れない勇気です。

これは、抽象的かつセンシティブなテーマを扱うNinaにとっては、大きな収穫に感じています。

あと残りおよそ1ヶ月後のNina 1周年記念。
これからの活動をどのように表現できるかを、楽しみにお待ちいただけたら幸いです。

スーパームーンのパワフルな力の後押しで、散文的に言葉を綴らせていただきました。
ここまでお読みいただいた方には、心から感謝の意を表します。
 

artwork
Les amoureux au clair de lune| Marc Chagall | source

コメント

コメントする

目次