「Nina Novembre」 が生まれるまで

1980年代初頭、インドネシアの古都、ジョグジャカルタ。
伝統的なジャワ美術の中心地である美しい町で、私は生まれました。

5歳の頃、しんと静まり返った昼下がりの寝室。
偶発的な動作によって、幼かった私は奇妙な心地よさと出会いました。

偶然側を通った母は、「それ」をしてはいけないと言いました。

してはいけないことによって、言いしれぬ快楽を覚えた自分は、きっと変な子供なのだと思いました。同時に、恥ずべき場面を見られてしまったのだと感じました。

以来、私は、「本当の私」を隠すように生きるようになりました。ほとんど無自覚に。

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日本へ帰国し、随分と後になって知りましたが、母が言った「それ」というのは自慰行為のことでした。

「それ」の先には、異性とのまぐわいがあり、命の誕生という責任に繋がると考えていたのでしょう。母は婚姻関係にない男女関係は、神の教えに反していることを、説いていました。

その想いは分かってはいましたが、密かな罪悪感を持ちながら生きていました。なぜなら、「それ」の感覚を時折思い出しては、ひっそりと再会を果たしていたからです。

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やがて大学へ進学し成人した私は、ある男子学生と出会い、ほどなくして肉体を使った愛し合い方を、初めて体験することになりました。

不思議な感覚でした。同時に、優しさと幸せに満ちた時間でした。目から頬を伝って、これまで押さえ込んでいた感情が静かに流れていきました。

とはいえ、貞操観念の強い家庭環境で育ってきたため、罪悪感はその形を変えて、私の中で存在し続けました。

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初めての行為から、ちょうど1年後のことでした。
23歳という若さにも関わらず、その男の心臓は、突然その振動を止めたのでした。

男の肉体が白骨となった姿を見た日、己の肉体を通して得た全ての感覚や感情に、禁ずるべきことや恥ずべきことなど、本来、なにも無いのだ、と悟りました。

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それからというもの、複数の男たちと出会っては、同衾することもありましたが、あの男子学生と交わしたような愛は、安易に得られないことを知ると、すっかり打ち拉がれました。

高校生の頃に父を亡くした私は、いずれ訪れる身寄りのいない世界を想像しては、恐れと不安を常に感じていたからです。ですから夫との結婚を果たした時は、ようやく安心感のようなものを得られたのでした。

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ところが、結婚して4年ほど経った頃のことです。
夫ではない人と、曖昧な関係になりました。

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