月の裏側 – 第7夜 – 火傷痕という記号

source|https://www.okada-museum.com/facilities/restaurant_kaikatei/

梶が成美を知るきっかけとなった記事は、彼女のブログに載っていたものだった。

その記事は成美の半生をまとめたカテゴリーに属するもので、成美が上京するまでの軌跡を記したものだった。

しかし、それは成美の人生の序盤であろうにも関わらず、由羅は続きの記事を読むことに対して、明らかに怖気づいていた。

つい数分前に、同級生ということだけでわかり合えるような気がしてしまった己を恥じた。それこそ ”同級生” という記号が、一体なんの意味があるのだ、と。

「拓海がこのブログのこと、梶さんに紹介したんだ。この夏、あたしが40歳の節目の頃だったから、声をかけてもらった時は何かが始まるような予感がしたのを覚えてる。」

成美の言葉を聞きながら、由羅は俯き気味にスマホに映る記事を眺めていた。

そして、ゆっくりと人差し指でTOPのリンク先に触れ、画面を遷移させた。

ブログは成美の半生だけでなく、日常の衣食住のことや、音楽や本や旅先での出来事なども掲載しているようだった。

ブログは白が基調のデザインで、流れるような手書きのような細字のスタイルで、 ” mudai ” というタイトルが、さり気なくも堂々と掲げられている。

「”mudai” … もしかすると、題名が無い、の、”無題” ですか。」

「そう。無題。何かにいちいちタイトルを付けるのがイヤなの。記事にも触れてるけど、記号的なものがね。職業のことも、 今は ”アートライター”って自己紹介してるけど、それだって便宜上使ってるだけで、本当はそういうの好きじゃないんだ。」

「そうなんですか… そういうこと、考えたことなかったです。” 会社員” って選択肢があれば、迷わずそれを選んでいたし…」

由羅の視線の先は画面を見つめているようで、思考の先は異なる場所にあることを成美は密かに感じとっていた。

「大抵の人はそうよ。」

成美は再びコーヒーを口にしながら、左手の縁側の先に広がる日本庭園を漫然と眺めた。

「そういえば… 最近だと ”梶さんのアシスタント” というタイトルが付けられました。」

ふと、由羅が思い出したかのように顔を上げて、左手の成美に視線を移した。成美が振り返り二人の視線がぶつかると、由羅の表情があまりに純真無垢なことに成美は思わず苦笑した。

「そうそう、それよ。アシスタントはしばらく予定してないって言ってた梶さんだったのに。」

「そんなことおっしゃっていたんですか…?」

「うん、言ってたのよ。それに、梶さんみたいな人のアシスタントをつとめる人だから、どんな人なんだろうって由羅さんのこと興味あったんだ。」

ー ” 梶さんみたいな人” って、どういう意味なのかしら…

由羅の心の中で、疑念の小さい水泡がぷつぷつと湧いては弾け飛ぶ。成美は梶の何を知っているのだろうか。

「梶さん、あたしの火傷痕を見せてって言ったの。まったく変わってるよね。」

「え…? 」

由羅は静かに息を飲んだ。

ー まさか、そんなこと… 変わってるどころじゃないわよ…

「それで、今考えても不思議なんだけど、見てもらいたくなったのよ。梶さんなら、いいか…って。」

すかさず成美の胸元に視線が移ってしまったことすらも気が付かないくらいに、由羅は当然のように混乱した。

ブラックのリブタートルとスキニーパンツからは一切の生肌は見えないに関わらず、細身の身体からメリハリよく丸く膨らむバストの曲線が異様に艶かしく映る。

「そろそろ時間ね。そうだ、今度、バーに来てよ。あたし、大抵は金曜に手伝いしてるから。」

成美が小ざっぱりしたビジネスリュックから何やら取り出し、テーブルにそっと置いた。

それは、バーの名や住所などが記されたショップカードだった。

カードに添えられた指先は、口元のルージュと似た紅色だった。

続き▶︎ 第8夜 | 乳房とナメクジ
この物語はフィクションであり、実在の人物や団体とは一切関係ありません。

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