月の裏側 – 第6夜 – 開化亭と同級生

「梶さんとは、バーで会ったのよ。」

パウンドケーキとおかわりのコーヒーを待っている間、成美がまるで問いに対する答えを明かすような口ぶりで突然切り出した。

梶を回想していた己の頭の中を見られてしまったのかと、由羅は内心ドキリとした。

「初めてお二人が出会ったのが、バーだったんですか…」

成美は、口角を少し上げながら頷いた。

「梶さんがお客さんとして来たの。」

「成美さん…、もしかして、バーテンダーもしているんですか…?」

「ううん。たまに手伝いにいくバーがあって。」

成美が小さくかぶりを振ると、耳に髪をかける仕草をした。カールがかったショートボブからフェイスラインがあらわになると、再びドキリとした。紅いルージュが会った時よりも、少しだけ薄くなっている。しかし、垣間見える素肌の唇はみずみずしい。

梶と成美が初めて言葉を交わす場面を想像してみる。あるいは、言葉はなく、視線だけを交わすだけの場面を。

由羅にとって、梶との再会は強烈なものだった。40年の人生の中で、とりわけ一番に。そして、これからの人生においても、あのようなシチュエーションは決して訪れることはないだろうと思う。

梶 泰介という男は、他の女にどのような振る舞いをするのだろうと、かすかに気になり出す。

「ある晩、梶さんがひとりでお店に来てね。拓海と挨拶してたから、初めてのお客さんではないんだなって思った。」

「たくみ…さん?」

「拓海はバーテンの子。あぁ…、”子”っていっても、36歳のおじさんか。」

ややあって、成美は再び続けた。

「うーん…、拓海をおじさんって呼びたくないな、やっぱり。あたしはもっとおばさんってことになっちゃうわ。」

くすくすと苦笑いする成美の横顔を見つめながら、成美は36歳よりも上なのか…と実年齢を推測してしまう。

ー 成美さん、いくつなんだろ… 。40歳なら私と同じだけど…。だとしたら、よっぽど若々しいな…。

”若々しい”という言葉を自分ごととして使うようになったのは、一体いつからだろう。自嘲気味に己を俯瞰する。

「それにしても、全くイヤね。イギリスに住んでた頃は、歳のことなんか気にする文化じゃなかったのに。でも、日本では同級生だとわかると、急に打ち解けちゃう文化があると思わない?」

「え、えぇ、確かに。成美さん、私と同い年だったりして、って今しがた思っていました。でも、ご年齢聞くのも失礼だしなぁって…。」

成美が人懐っこい笑顔で話すので、由羅もつい内心を吐露してしまう。

「そうだったの?あたしは8月生まれの40歳よ。ユラさんのことも聞いていい?」

「え… 私も40歳です。6月生まれの。つまり…、同級生ってことですね。」

「やっぱり!なんとなくそうかなって思ってたんだ!あははっ!」

成美の声がワントーン高くなり、オーバーリアクション気味に笑った。由羅は慌てて愛想笑いを浮かべながら、思わず斜向かいに座る老夫婦を一瞥してみると、案の定、こちらを怪訝な表情で眺めている。

成美も由羅の視線の先をなぞるように、少し遅れて老夫婦を一瞥する。

「お待たせしました。パウンドケーキとコーヒーのおかわりをお持ちいたしました。」

その直後、ニ組を分断するかのごとく店のスタッフがカウンターの間に現れた。成美は人陰に隠れるようにしながら、由羅に視線を移し、首をすくめながら悪戯っぽいウィンクをした。

ブラックのリブタートルは成美のカーヴィーな身体を包み込み、落ち着いた印象を与えているが、その生娘のような仕草がなんともアンマッチで、由羅はたちまち成美のことが好きになってしまうようだった。

ー いいなぁ… 成美さんの自由な雰囲気…

ケーキを頬張り、美味しい、美味しい、と無邪気に喜ぶ成美を横目に、己の堅苦しさと比べて羨む。

「それで、さっきの続き。梶さんのこと。」

成美がコーヒーを一口飲み、カップを両手に持ちながら言った。

”それで…、梶さんとは、セックスしたの?”

足湯処で成美から受けた質問の背景が伺い知れるような気がして、由羅は身構える。

「あたしが以前に書いた記事を読んだらしかったの。過去に火傷を負ったことを記した記事。梶さんがアートライターを探してることを拓海が聞いたから、内緒で紹介していたみたいで。」

「そうだったんですか…。あの… どこを火傷されたんですか…? 」

「ん…と、この辺、全体にね。」

成美は胸のあたりに静かに手を当てた。

続き▶︎ 第7夜 | 火傷痕という記号
この物語はフィクションであり、実在の人物や団体とは一切関係ありません。

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