番狂せの「紳士」と「真摯」
あの日”番狂せ”で一時間強滞在して印象的だったのは、個展会場がハートフルな雰囲気だったことだ。それと、オジ様の多くが穏やかで紳士的だったことも。彼らは性風俗を生活の潤いにする人たちであり、紅子さんの活動を純粋に応援しているようだった。
紅子さんに飲み物をご馳走したいと申し出るオジ様、写真やグッズを購入するオジ様、紅子さんとツーショットを撮るオジ様、紅子さんから作品の説明を受け関心するオジ様、相席同士で談笑するオジ様…
どのシーンも会場の店内にホンワカとした温かな空気を生み出しているようだった。
気がつけば、アラ古希のオジ様が柔和な笑みを浮かべ、声を潜めながら紅子さんと会話をしている。紅子さんが「それは、それは」と笑顔で返しているのをみると、恐らくはその手の店で良い対応を受けたことを嬉しそうに報告していたのだろう。内実の分かる者同士の親密な会話シーンは微笑ましかった。
そもそもアラ還以上のおっちゃんでぎゅうぎゅう詰めの空間なんて、普段なら勿論ノーサンキューなのだが、あの場所は不思議に居心地が良かった。チーママ(運営サイド)の作家とファンの取り持ち役も素晴らしかったし、紅子さんが誰でも受け入れる心地よい雰囲気を醸し出していたからだと思う。
そう、何より印象的だったのは、紅子さん自身、撮影を通して性風俗がどんなものかを知ろう、或いは、感じようとしている真摯的な姿勢だったことだ。
例えば、飛田新地は風俗のメッカであり、ネットや書籍でいくらでも情報が取れることを後から知ったのだが、紅子さんはそういった事前情報を敢えて入手することなく現地入りしたことを感じさせる説明ぶりだった。その様子は、まるで「紅子」という生身のファインダーを通して被写体を写そうと試みているのだろうと見てとれた。
つまるところ、かつて色街で働いてきた当事者「目線」で色街写真家として活動しているのではなく、かつて色街で働いてきた当事者「だからこそ」色街写真家として活動しているようだった。
なぜなら、本記事執筆に当たって様々な風俗関連の情報を漁る中で確信したのは、性風俗とは中世・近現代以降の各地域に根差した社会の仕組みに深く関わる分野であり、風俗嬢としての経験があるというだけではそれを理解しているとは言えないからだ。
逆説的に言うと、それだけに色街を写真に写す者がその経験者であるか否かの差も大きいと言える。だから上述の「だからこそ」なのだ。
もっとも、その経験者だからといって紅子さんのようになれるかと言えば、勿論そうではないだろう。彼女の体験した過酷な体験や美術学校での学び等は、確実に紅子さんの感受性やその表現に血肉を与えており、それがあの圧倒的な存在感を放つ作品を生み出しているのだ。
また、その活動を通じて心を動かされた風俗業界の方々が、通常撮影を許さない貴重な歴史の痕跡を彼女にならと公開し、それまでの歩みを語るという社会的意義を生み出している。
覚悟を決めたオンナ
紅子さんは「この撮影を執念でやっているところがある」と語る。後悔しても今や取り戻せない過去を清算するかのように「色街のなごりを撮り歩くことで、自分が生きてきた世界がどういう場所だったのか、歴史をひもときながら考え、記録し伝えていきたいと願った。」(以下のミニ図録より文章を拝借)

一方、世間の多くが彼女の活動に眉を顰めるのは、性の売買を良しとしないからだろう。特に多感な年頃の息子がいることに対しては「頭がおかしいんじゃないか」といった厳しい声もあるという。
その点は私にも子供がいるので正直気になるところだったが、街録chでのインタビュー(2023年7月)でその問いに答えていたのを見つけたので下記に引用する。なお、インタビュー当時、息子さんは紅子さんがどのような活動をしているかを具体的に知らないという。
街録ch:有名にどんどんなっていったら、これから目に入ってきちゃうみたいな可能性はありませんか。その場合、どうするんですか。
紅子:そうなったらたぶん何も言わないと思いますね。
街録ch:息子さんの性格的にも?
紅子:そう、そう。お母さんはお母さん、っていう感じかな。
source|街録ch
淡々と語る口調に、活動に対する強い信念と息子さんとの強い絆が伺える。得てして「日本人は、他人の目から見た自分の姿を気にする国民性である」と評されるが、世間からの風当たりがキツい中でも自分のことに集中し続けられる紅子さんの強靭さに畏怖の念を感じざるを得ない。

しかし、そんな彼女も始めから「元吉原ソープ嬢」だとは明かしていなかったようだ。インスタに写真を投稿するうちにフォロワーが増えていく過程の中で、真に覚悟が決まった時にその肩書きを敢えて追加したのだろう。その覚悟は、シングルマザーとして一人息子を育てる女が、誰よりも忌み嫌っていた過去の全てを受容した証しであり、決して容易いものではない。
その後YouTubeで風俗体験談を写真と共に紹介していった結果、雑誌からの原稿依頼や写真提供、写真展、トークショーなどの仕事の依頼が増え、瞬く間に彼女の生計に繋がったのだった。
これはもはや因縁と言わざるを得ない。後悔していた過去を打ち消すのではなく、シャッターを刻むように、敢えて己の歴史として深く刻んでいる姿は凛として清々しい。

風俗業界はもやはアングラではない?今後どうなる?
次のページへ 4/4
コメント