After Meeting BENIKO
昨夏、紅子さんと対面して以降、彼女や彼女の作品を通して、数ヶ月間に渡り性風俗を見つめてきた。その結果、私は何を思い、何を感じたのか。紅子さんの作品と共に、それらにまつわる情報・知識と私見を綴る。
<前編 -Before Meeting BENIKO – 未読の場合 >
まずはこちらから
= 目次 =
色街写真家 紅子と対面
飛田新地とかつての遊女たち
紅子作品で飛田新地を見つめる
番狂せの「紳士」と「真摯」
覚悟を決めたオンナ
風俗業界はどうなる
最後に
色街写真家 紅子と対面
荒木町はかつての花街の面影が残る石畳が印象的な場所だった。日中に足を運んだにも関わらず、不思議にどこか宵の風情を感じさせる。
グーグルマップが会場と指し示す場所は、小さな路地の一角だった。訝しげにキョロキョロと辺りを見渡しながら路地に入ってみると、「番狂せ」の看板が。黒い扉がようこそと言わんばかりに全開である。アートスナックと銘打っているだけあって、定期的に芸術品の展示をしているような店だ。通常のスナックはお得意さんばかりだろうが、一見さん含め色々な客層がいるに違いないと身を奮い立たせ、そろりと黒い扉に近づく。

店内で写真展が開催されているとは誰も思わぬまい。
中を覗いてみると、10名弱ほどのカウンター席が白髪混じりのオジ様によってほとんど埋め尽くされている小さな店だった。なかなかの盛況ぶりに驚いた直後、期待に反して自分がレアな客層であることに怯んだ。笑顔が素敵なチーママ(多分)が、すかさずカウンターから晴れやかに挨拶してくれた。奥にひっそりとある小さなテーブル席が辛うじて空席だった。ソワソワしながら奥に進み、薄笑いを浮かべながら静かに着席。
(紅子さんのファンはオジ様が多いのだなぁ…)
そんなことを思いながら、すぐ側のカウンター席をチラリと見遣ると、紅子さんが一番端の席に座っているのが視界に入った。ちょうど昼時の頃合い、食事を摂りながら隣のオジ様と談話している最中だった。第一印象はSNSと大差はなく、そのままの姿がそこに在った。昭和モダンの雰囲気漂うオジ様だらけの店内。完全なアウェイゆえ緊張していたこともあり、若干ながら安堵する。
ドリンクをオーダーした後は、壁一面に所狭しと展示されている作品たちを眺めながら、紅子さんと会話できるタイミングを気長に待つことにした。

展示品は京都と大阪2拠点の遊郭跡地を中心にしていたが、そのどれもが個性が際立っていて、各被写体が確かな歴史を物語っているかのようだった。ところが色街に関する基礎知識もほとんどないまま出向いただけに、写真から感じるエネルギーを史実に基づき解釈できない自分に歯がゆい想いがした。

なお、サウナマシンは、その店をソープランドと”認定されるための”マストアイテムだということを紅子さんから学んだ。
程なくして食事を終えた紅子さんが話しかけてくれた。独特のおっとりとした口調で「綺麗な女性がいらしていただいたので緊張する」とお世辞を交えたアイスブレイクをかましてくださる。思わぬ歓迎の意を受け気の利いた返しもできず焦ったものの、そのお陰で緊張感をほぐすことができた。(さすがおもてなしの最前線にいらしていただけあると感心)
そんなこんなで直接紅子さんと会話が出来るチャンスが到来。ひとつひとつの作品について、丁寧に説明いただく言葉に耳を傾けた。
特に印象的だったのは、大阪府西成区に所在する「飛田新地」に関する話だった。
飛田新地とかつての遊女たち

営業時間での写真撮影は断じて許されない事情がある。
©︎ 紅子
飛田新地は、知る人ぞ知る、かつて日本屈指の遊郭と謳われた飛田遊郭が前身の歓楽街だ。
紅子さんが撮影で初めてその地に出向いた時、年配の男性がまばらに歩いてるのを想像していたとのことだが、実際には多くの若者が闊歩していて驚いたという。それもそのはず、紅子さんが遊郭跡地を撮影する所以は、時の流れにより全国各地にある色街が消えていくからに他ならないのであり、一世紀以上も続く活況のそれは稀有らしいのだ。
活況の理由は幾つか考えられるが、どうやら特有の営業システムに秘密が隠されているように感じる。
まず前提として、通常の店舗型風俗店ではネットで予め目当ての女性を定めてから店へ直行することが多いので、客が風俗街を往来することはあまりないのだそうだ。
ところが、大阪府ではソープランドやヘルス(店舗を構えて性的サービスを提供する業態)が法令により禁止されているため、飛田新地の各店は「料亭」という看板を掲げて飲食店として経営しているのだとか。そこで飲食をする男性客が従業員の女性と恋愛関係に落ちて床を共にするという「自由恋愛」のテイを取っているわけだ。
それゆえ女性たちはネットに顔を晒すことのない代わりに、料亭の玄関先に座って客を待つという極めてアナログな方法で顔見せをする。(写真1の補足説明にある通り、個人情報保護の観点からも区画内の写真撮影は許されないのだ)
その隣には中高年の女性(通称「やり手ババア」)が座っており、客ひきをはじめ、女性達や備品管理等々の万事を取りまとめる。この辺りがまさに遊郭往時の風情を残す側面であり、多くの人が往来するのは、予めネットで目星をつけることができないからだろう。
さて、そのような中で男性客は区画を往来しながら好みの女性を決めると、靴を脱いで料亭の階段を上がる。2階には小部屋があり、ローテーブルと布団が置かれているそうだ。飲食店ゆえに、飲み物や駄菓子などが形式上提供され、20分〜60分程度の滞在時間※を決めた後、先の記述にもあった通り「従業員の女性と自由恋愛」に発展して情事に及ぶといった具合だ。
※時間によって一律の金額が定められている
1958年(昭和33年)の売春防止法や大阪府の厳しい独自の法令を掻い潜った末の業態だそうだが、いやはや黒に限りなく近いグレーである。気になって調べてみれば、昭和61年10月の宮崎県での事件では、最高裁が否定的な見解を出しているので、事実上、社会はこれを黙認しているのだろう。(文献番号1986WLJPCA10011050)

source|飛田新地マップ(2024年10月16日付)
さて置いても、大正時代から100年以上続く飛田新地。江戸の遊郭風情を演出する妓楼建物群は、戦災を免れたエリアも多く、改築を繰り返しながら今も使われているようだ。そんな往時の雰囲気を残す中でも、所々で垣間見える退廃した各跡地には確かな歴史が刻まれており、当時の遊女達の声なき声が紅子さんのファインダーにしかと収められている。その中でいくつかピックアップしたものを次頁に紹介する。
紅子さんの作品を通して、飛田新地、性風俗とは何かを見つめてみる
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