前編|元吉原ソープ嬢 色街写真家 紅子を通して「性風俗」を見つめる

色街写真家 紅子とは

菓子屋を営んでいた紅子さんのご両親は自宅を不在にしがちの生活だった。洗い物の食器や洗濯物やゴミが堆く積まれているような、所謂ゴミ屋敷のような環境で過ごしていた子供時代。YouTubeで本人が語るには、ほとんど口をきくことができない、給食も一口も食べられない等の理由から、聞くだけで胸糞が悪くなるような壮絶なイジメに合っていたと聞く。

ある日、公園に捨てられていた官能雑誌の裸婦を見て「裸になれば、こんな自分でも受け入れられるんだろうか」という想いが湧き立った。それは後に彼女を風俗業界へと誘うひとつのキッカケとなったのである。雨戸が締め切られた暗い部屋の中で、裸の女の絵を描いては社会に求められる自分の姿を妄想した。

実際に彼女が風俗店で働き始めたのは、19歳の時だった。美術専門学校への進学にあたって、学費を拠出する必要があったからだ。

30歳まで読み書きがまともにできなかったと語る彼女は、それ以降、いわゆる普通の仕事に就く術が見つからず、吉原、川崎堀之内、歌舞伎町など関東各地の風俗街をおよそ13年にも渡って転々としていたのだそう。

風俗業界を引退する契機となったのは結婚だった。所謂一般的な家庭の幸せを手に入れられるはずだった。しかし程なくして男の子が生まれるものの、わずか1年ほどで離婚してシングルマザーとなってしまう。しかし風俗業界へは戻らず、過去を誰にも明かすことなく、ひたすら地道に、そして必死に働いてきた。

そんな彼女がなぜ遊廓や赤線の写真を撮り続けるのか?
その理由を雑誌ブルータスの取材で答えているのを見つけた。

私は風俗嬢として働いていたことを後悔しています。風俗嬢だった時はずっと谷底から社会を見上げるような毎日を送っていました。学力も技術もなく、どうやって仕事に就けばいいかもわからず、風俗嬢として生きる道を選びました。

でも、シングルマザーになり、自分で子供を育てなければいけない状況になった時、必死に勉強して、普通の会社で働けるようになったんです。もっと早く、学んだり、技術を身に付けたりしていれば、風俗の道に進まず、普通の会社に勤められたのかもしれない。そんな後悔があるんです。

でも、後悔したまま人生を終わらせたくない。だから、今残っている遊廓・赤線の名残を訪ね歩き、写真に残すことで、私が働いていた場所がどのような場所だったのか、歴史を紐解きながら考えていきたいと思ったんです。

BRUTUS

これを読んだ時、私がこの活動を始めた時の気持ちが鮮明に蘇った。

私も長年の会社員生活に終止符を打ったのは、まさに、後悔のない人生を送りたいと切に願ったからに他ならない。その上で、これまで私が生きてきた「この世」とは一体どういうものなのかを「性」を切り口に捉え直してみたいと思ってのこの活動なのだ。彼女の想いとダブって見えた。

時は2024年夏。東京・四谷荒木町で個展が開催されているという。場所は「アートスナック番狂せ」という店らしい。「番狂せ」という名は、わずか3年前には何者でもなかった女性を世間に伸し上げた見えざる力を彷彿とさせており、何とも不思議な気がした。

紅子さんとは、どんな人なのか実際に会ってみたい。
本物の作品を肉眼で見てみたい。
どんな人達が作品を見に来るのかを知りたい。

それらの想いは一度きりに私の心を駆り立て、彼女の在廊日に焦点を合わせて現地に向かったのだった。

後編 -After BENIKO-
年内公開予定

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